観光

強く生きてはい上がった半端ない かんもんの人「林芙美子記念室」

関門汽船「かんもん」で門司港へGO

以前から行きたかった林芙美子記念室に行ってきた。

関門汽船の「かんもん」というひらがな表記。やわらかくて丸い印象でひらがなはいいなあと思う。「かんもんノート」の名前も気に入っていて、最初見たとき素敵だなあと思ってライターに応募したんだった。

今日初めて知ったのだが、追加料金を支払えば自転車も一緒に載せられるそう。今度やってみたいなと思った。後ろに子を乗せ自転車で門司港をぐるっと回ってみたい。巌流島もいいかもなあ〜。と思ったけど、巌流島行きの船には自転車は載せられないそうです。

生誕地が門司なんだか下関なんだかさだかではない『宿命的な放浪者』林芙美子はまさに「かんもんの人」だとわたしは思う。かんもんノートの趣旨として下関と門司を分けないでまぜこぜにして考えちゃおうよ。っていう考えがあるのだが、そんなイメージがぴったりだなあと思って、少し前から林芙美子に興味があったのだった。

 

旧門司三井倶楽部

林芙美子記念室がどこにあるかと言うと門司港「旧」がつく建物シリーズのひとつ、日本遺産「関門“ノスタルジック”海峡」の構成文化財・旧門司三井倶楽部内にある。

そもそも三井倶楽部って何だろうと思って聞いてみたら、三井物産の社交場のようなところ(つまり迎賓館)で現在も日本に3カ所あるのだそうだ。東京、大牟田、そして門司。全然知らなかった。

綱町三井倶楽部(東京都港区三田)
三井港倶楽部(福岡県大牟田市)

エントランスにタモさん。もうすぐだ!楽しみ。

足の下のステキな床(やってみたかった)。

 

木賃宿暮らしだった林芙美子がペンの力で家を建てるまで。半端ない努力・根性物語

記念室は時系列に当時の写真や資料が展示されている。林芙美子記念室エリアは写真撮影できないので、文章でなにかお伝えできることがあればと芙美子の人物像を書いていきます。

親の都合で住まいを転々とし、ペンの力で上京し、パリへ行き、戦地に赴き、養子を育て、終の住み処を建てた。貧困に打ち克った人。戦争が終わったあと庶民のためにペンを持ち続け、たくさんの作品を残し、多くの人を喜ばせた人。

◎『放浪記』では下関で生まれたと書いているが、門司の小森江が出身地では、などと生い立ちに諸説あり
◎直方(福岡県)で母キクはバナナを芙美子はあんぱんの行商をしていた
◎尾道(広島県)で文才を見いだされ、好きな人を追って上京した
◎『放浪記』が売れてその印税でパリへ
◎戦時中「ペン部隊」(報道担当)として戦地へ行った女流作家第一号
◎下落合(東京都)に『東西南北風の吹き抜ける家』をコンセプトに住み手が住みやすいってことにとことんこだわった家を建築

『宿命的な放浪者』自らをそう呼んだ芙美子が家をつくるなんて「考えてもみなかった」そうで、人生はわからないなあ〜と館内の映像を見ながら思う。47年の短い生涯のなかの最後の10年。芙美子がやっと落ち着いた場所。風通しがよい三間つながりの和室、気持ちよさそうな空間を見ることができた。実際その家は東京に残されているそうで…いつか行って見てみたいな。

 

アインシュタイン博士夫妻が旧門司三井倶楽部で。心あたたまる滞在エピソードも

林芙美子記念室と一緒にアインシュタイン博士夫妻が宿泊したという部屋を見ることができる。アインシュタインは日本に相対性理論についての講演活動をしに来たことがあって大正11年(1922)に門司港のここに5日間滞在したのだそうだ。

相対性理論ってどういう理論なんだろう。と思いつつ今もググっていません。ググらずに書いてます。やくしまるえつこの音楽はいつか聴いてみたいなと思っていたのだった。アインシュタインがいなかったらやくしまるえつこの音楽は生まれていただろうか!なんてことを思う。

アインシュタインという人がどんな人だったかちょっと知ることができてうれしい。とても謙虚。

研究者は研究をしていればいいのであって、研究室をあけて旅行だなんて、でも日本には興味があったからこんなチャンスを得られてうれしい…というようなことがこの手紙に書かれています。

金谷ホテル(日光)の便せん。講演活動で日本中を回ったアインシュタインは門司港を最後に上海に旅立ったそうです。アインシュタインを囲んだ食事風景の写真なども展示されています。

門司を訪れたのが年末だったようで、餅つき現場に出くわし飛び入り参加したというエピソードも。赤いはちまきをしめたアインシュタインを想像。一緒にいたエルザ夫人爆笑。なんかコントみたいでおもしろい。相対性理論、今からググります!

 

命日に「生きる」ことについて考える

6月28日は林芙美子の命日だそうで、これを知って今だ!と思って行った。今行ってよかった。充実感でいっぱい。

亡くなる前日1951年6月27日芙美子は銀座の「宮川」という鰻屋で食事をして帰ったあと心臓麻痺を起こしてそのまま亡くなったのだそう。47歳。まさに最期の晩餐だったわけだ。

賛否両論ある作家だっただろうが、万人に好かれる人はいやしない。ただ「生きる」ことに懸命だったのかなって思う。誰だってそうだ。生きる、生き抜くって時として大変だ。わたしは林芙美子さんのこと、もっと知りたくなった。テレビでロスト・ジェネレーションとか、アラフォー・クライシスとかそんなことを言われる世代です。

記念室2階の窓から見える黒川紀章氏設計のビルと例の海賊船!

展示を見たあとは甘いものを食べたくなります。門司港茶寮です。

門司港は見どころがいっぱいありますが、もし機会がありましたら、こちらの林芙美子記念室に足を運んでみてくださいね。蒸し暑い日々ですね。子どもにとって楽しみな夏休みがすぐそこまできています。miromiでした。

林芙美子記念室(三井倶楽部内)


住所北九州市門司区港町7-1


電話番号093-321-4151


営業時間9:00〜17:00


定休日無休


料金大人100円(小中学生50円)


駐車場あり


ホームページ旧門司三井倶楽部/門司港レトロインフォメーション

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miromi
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青春時代を過ごした下関に15年ぶりに帰ってきました。
ひとつのお菓子からひろがる物語を絵に描いています。
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